ディズニーシーって、世界中を探しても日本にしかないって知っていましたか?
「海をテーマにしたディズニーパーク」は、アメリカにもフランスにも中国にも存在しません。
なぜ、日本だけにあるのか…?
この答えには、島国としての文化的な背景だけでなく、オリエンタルランドの23年越しの執念や、日米の文化衝突という面白い裏話まで絡んでいます。
この記事では、ディズニーシー誕生までの道のりを追跡!
・最初はハリウッドスタジオ型になるはずだった話
・シンボルをめぐって日米がぶつかった話
なども交えて解説していきます。
ディズニーシーが開業するまでの道のり
東京ディズニーシーは、2001年9月4日に開業しました。
隣接するランドとともに「東京ディズニーリゾート」を構成しており、7つのテーマポートに分かれています。
それぞれのエリアに冒険・探検・幻想といった物語が宿っていて、アトラクションからショーまで、テーマに沿った体験が楽しめます。
第2パーク構想は1988年にスタート
ディズニーランドが開業5周年を迎えた1988年、オリエンタルランドは「次のパーク」の構想を動かし始めます。
当初、候補として検討されていたのは、映画制作の舞台裏をテーマにしたパークでした。
フロリダのディズニーMGMスタジオをベースにした、いわばハリウッドスタジオ型のパークです。
しかし、1991年にそのコンセプトは見直され、1992年に「セブン・シーズ(7つの海)」という”海”をテーマにした新しい構想が生まれます。
「ランドでは体験できない感動を提供できること」
「何度でも来たくなるパークであること」
という条件に、海のテーマがぴったり合ったのです。
その後、1996年にオリエンタルランドとディズニー社の間で、開発契約が締結。
1998年10月には、総工費約3,350億円をかけた建設工事がスタートします。
そして2001年9月、第2パーク構想の発表から13年、ディズニーランド開業から18年を経て、東京ディズニーシーが正式にオープンしました。
世界のディズニーパークは6か所
現在、ディズニーパークは世界6か所に展開されています。
- アメリカのカリフォルニア
- アメリカのフロリダ
- 日本の千葉
- 中国の上海
- 香港
- フランスのパリ
の6つです。
各パークには海に関連したアトラクションもありますが、パーク全体のテーマとして「海」を掲げているのは、世界中で東京ディズニーシーだけです。
シーが日本だけに存在する3つの理由
なぜ「海」のテーマが日本で生まれ、今もここだけにあるのか?
大きく分けると3つの理由があります。
①島国・日本と海の深い関係
日本は四方を海に囲まれた、島国です。
古くから漁業・交易・信仰まで、生活のあらゆる面が海と結びついてきました。
海は日本人にとって、遠い存在ではなく「すぐそこにあるもの」です。
その親しみやすさが、海をテーマにしたパークのコンセプトに自然とフィットしました。
また、ディズニーシーの建設地である浦安市も、かつては漁師町です。
埋め立て地に作られたパークが「海」をテーマにするのは、土地の成り立ちとしても納得感がありますよね。
②「世界で唯一」という差別化戦略
オリエンタルランドがシーを作った背景には、明確なビジネスの意図もあります。
「ランドとは全然違う体験ができる」
「世界でここだけ」
というコンセプトは、リピーターを呼び込むための強力な武器になります。
実際、東京ディズニーリゾートは年間来場者数や売上において、ディズニー本国のパークをしのぐほどの実績を誇っており、この差別化戦略は大成功といえます。
「世界唯一の海のディズニーパーク」という肩書きは、今も海外からのディズニーファンが東京を訪れる、理由のひとつになっています。
③オリエンタルランドによる自己運営
東京ディズニーリゾートは、ウォルト・ディズニー・カンパニーが直接運営していない、世界で唯一のディズニーパークです。
上海や香港も、現地企業との共同出資です。
しかし、運営がディズニーから完全に切り離されているのは、東京だけ。
オリエンタルランドは、ディズニー社からライセンスを受けてブランドを使用しつつ、開発・運営・資金調達のすべてを自社で行っています。
ディズニー社は技術やノウハウ、キャラクターのライセンスを提供する側で、建設費は一切出していません。
この契約構造があったからこそ、「世界のどこにもない、日本だけのディズニーパーク」という思い切ったコンセプトが実現できたのです。
もしディズニー直営だったら、ブランドの統一性を優先してシーのような、独自路線は生まれなかったかもしれませんね。
ディズニーはもともと日本を拒否していた
「ディズニーシーが日本にある」という事実は、今となっては当たり前に感じます。
しかし、そもそもディズニーの日本進出自体が、一筋縄ではいきませんでした。
1961年、当時京成電鉄の社長だった川崎千春氏がアメリカのディズニー本社を訪問し、日本への誘致を申し出ました。
しかし、ディズニー側の反応は冷淡でした。
当時、ある日本企業がディズニーランドに酷似した施設を、著作権の許可なく建設するという出来事があり、ディズニー社には「日本人は信用できない」という強い不信感があったのです。
それでも、川崎氏は諦めません。
1974年には、浦安地区の適地性をまとめた詳細な調査レポートを、ディズニー社に提出。
1974年12月、帝国ホテルでのプレゼンテーションと、ヘリコプターによる現地上空視察。
ついに「ともにディズニーランドを建設する可能性を追求したい」という言葉を引き出しました。
最初の訪問から、実に13年越しの粘り勝ちです。
ディズニーシーが存在するのは、この長年にわたる執念があったからこそといえます。
シンボルは「灯台」になるはずだった
ディズニーシーの建設にあたっては、日米間で文化的な認識のズレから生まれた議論が、いくつかありました。
その中でもっとも興味深いのが、パークのシンボルをめぐる交渉です。
ディズニー社が、最初に提案したシンボルは「灯台」でした。
アメリカ人にとって灯台は「冒険から無事に戻ってきた」「故郷の光」を象徴する、温かく力強いイメージがあります。
しかし、オリエンタルランド側は首を縦に振りませんでした。
日本人にとって灯台は哀愁や孤独、寂しさのイメージと結びつきやすく、明るく楽しいディズニーパークのシンボルとしては、そぐわないと感じたからです。
同じ「灯台」という言葉でも、文化によってまったく違うイメージを持つ。
この認識の違いは平行線をたどりましたが、最終的に両社が導き出したのが「アクアスフィア」という”水の惑星地球”を表現したシンボルです。
今や、シーのランドマークとして誰もが知るあの球体は、日米が文化の壁をこえて議論を重ねた末に生まれたものでした。
ディズニーシーを訪れる際には、あのアクアスフィアをちょっと違う目で眺めてみてください。
東京ならではのアトラクション
ここでは、東京ディズニーシーならではのアトラクションを紹介します。
それぞれに「シーでしか体験できない理由」があるので、ぜひそこも一緒に楽しんでみてください。
ソアリン:ファンタスティック・フライト
ハンググライダーに乗って、世界各地の名所を空から巡るアトラクションです。
映像・風・香りが同時に連動する演出で、本当に空を飛んでいるような感覚が味わえます。
実はこのアトラクション、映像がシーのオリジナルバージョンになっています。
カリフォルニアやフロリダにも「ソアリン」はあります。
東京版は「ファンタスティック・フライト」というサブタイトルが示す通り、飛行の歴史をたどるストーリー仕立てになっているのが特徴です。
終盤にはシー自体の映像が登場するシーンもあり、「あ、ここだ!」と気づく瞬間がちょっと嬉しいです。
混雑が激しいアトラクションのひとつで、開園直後に向かっても1時間以上待つことも珍しくありません。
センター・オブ・ジ・アース
ジュール・ヴェルヌの小説『地底旅行』をベースにした、地底探検ライドです。
ネモ船長が設計した地底探検車に乗り込み、火山内部を突き進みます。
クライマックスでラーバモンスターに遭遇してから、一気に急上昇。
最高時速約75kmで、パーク最速のアトラクションです。
「テラベーター」と呼ばれる乗り場へのエレベーターが「地底800mへ下降している」という設定になっていますが、実際には上昇しているのは有名な話ですよね。
足元から吹き上げる風と音響で「降りている」と錯覚させるあの演出、ディズニーの作り込みのすごさを感じる場面のひとつです。
待ち列の通路にも探検隊の記録やメモが貼られていて、乗る前からストーリーが始まっています。
タワー・オブ・テラー
呪われたホテルを舞台にした、フリーフォール型アトラクションです。
アメリカ版のタワー・オブ・テラーとは異なり、東京版は「ハリソン・ハイタワー三世の失踪」というオリジナルのストーリーが設定されています。
アフリカから強奪した、呪いの偶像シリキ・ウトゥンドゥによってエレベーターごと消えてしまったハイタワー三世。
乗り込む私たちは、見学ツアーの参加者という設定です。
つまり「警告を無視して呪われた建物に入っていく人たち」という立場で体験するわけです。
落下のタイミングはA・B・Cの3コースでランダムに変わり、何度乗っても「次はいつ落ちるのか」が読めない設計になっています。
この予測不能さこそが、何十回乗っても慣れない理由のひとつです。
インディ・ジョーンズ・アドベンチャー
映画『インディ・ジョーンズ』をモチーフにした、冒険ライドです。
ジープ型の車両に乗って古代遺跡の中を疾走しながら、巨大なクリスタルスカルの秘密に迫ります。
このアトラクションのストーリーは、東京ディズニーシーのオリジナルで、映画には登場しない設定です。
車両は前後左右に揺れながら走るため、同じルートを通っていても毎回微妙に体感が違います。
待ち列の通路が、古代遺跡の発掘現場を再現した造りになっていて、壁の模様や展示物をじっくり見ながら進むのもひとつの楽しみ方です。
レイジングスピリッツ
ディズニーリゾートで唯一、360度ループを持つジェットコースターです。
古代の火の神と、水の神を誤って対立させてしまったことで、マインカートが制御不能になるというオリジナルストーリーが設定されています。
最高時速は約60kmで、落下感はほとんどなく浮遊感も控えめ。
絶叫系が苦手な方でも、比較的チャレンジしやすいアトラクションです。
ただし、ループ直前の加速区間が一番ドキドキするという人が多く、「見た目の怖さと実際の怖さがズレている」のが面白いところです。
夜に乗るとコースの先が見えない分、昼間より格段にスリルが増します。
ヴェネツィアン・ゴンドラ
イタリアのヴェネツィアを精巧に再現した運河を、船頭が漕ぐゴンドラでゆっくり巡るアトラクションです。
陽気なイタリア語の歌を歌いながら、案内してくれる船頭さんのトークが、このアトラクションの一番の魅力といっても過言ではありません。
スリルはゼロですが、ゆったりした時間を過ごせるので絶叫系の合間の休憩にもぴったりです。
景色が美しくて写真映えもするので、カメラを持ちながら乗るのもおすすめです。
なお、乗船は天候によって中止になることがあります。
シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジ
冒険家シンドバッドと、子トラのチャンドゥが旅をする物語を、船に乗りながらたどるアトラクションです。
流れる楽曲はアラン・メンケンが手がけており、「いつか見る夢(Compass of Your Heart)」はシーに来ると、自然と頭の中でリフレインするほど耳に残ります。
もともとは、別のストーリーのアトラクションでした。
しかし、2007年にシンドバッドをテーマにした、現在の形にリニューアルされました。
激しい演出はなく、子どもでも安心して乗れるほっこり系アトラクション。
大人が乗っても「なんか、いいな」と感じる不思議な魅力があります。
20,000リーグス・アンダー・ザ・シー
ジュール・ヴェルヌの小説『海底二万マイル』をベースにした、小型潜水艇で海底を探索するアトラクションです。
ネモ船長の世界観が丁寧に再現されており、センター・オブ・ジ・アースと同じ「ミステリアスアイランド」エリアに位置しています。
ネモ船長はどちらのアトラクションにも登場しており、ふたつのアトラクションが同じ世界の出来事として、繋がっているという設定です。
スリルはほぼなく、水中の神秘的な景色をのんびり楽しむアトラクション。
暗い水の中を静かに進む独特の雰囲気は、他のアトラクションでは味わえません。
フォートレス・エクスプロレーション
ルネサンス期の要塞を舞台にした探索型のエリアで、天文台・航海室・錬金術の部屋・砲台など10か所以上の施設を自由に見て回れます。
アトラクションというよりは「乗り物なしで楽しむ体験エリア」という感じで、じっくり歩き回ると1時間以上かけて楽しめます。
入場料・待ち時間なしで誰でも入れるのに、作り込みのレベルが非常に高く、初めて訪れた人はその規模感に驚くはずです。
子どもが仕掛けを探しながら、走り回る姿が微笑ましい場所でもあります。
アクアトピア
未来の海洋研究施設をイメージした、水上ライド型アトラクションです。
コースが決まっておらず、乗り物が水面を自由気ままに動き回るため、次にどこへ向かうか予測できません。
同じ乗り物に乗っても毎回ルートが違うという体験ができる、ちょっと変わったアトラクションです。
スリルは控えめですが、突然回転したり急停止したりするのでじわじわと笑えてきます。
冬季は「フローズンウォーターパーク」として雪と氷のアレンジになり、季節によって雰囲気がガラリと変わります。
まとめ
ディズニーシーが世界で日本にしかない理由を振り返ると、島国の文化・差別化の戦略・ライセンス契約という3つの条件が重なり合っています。
ただそれ以上に面白いのは、その裏にある人間くさいドラマです。
「日本人は信用できない」と言われながらも、13年かけてディズニーの扉を開けた人たち。
ハリウッドスタジオ型を、海テーマに切り替えた判断。
灯台からアクアスフィアへ変わった、日米の議論。
こうした積み重ねがあって、あのパークは存在しています。
次にアクアスフィアの前に立ったとき、「これが生まれるまでにこんな話があったんだ」と思いながら眺めてみてください。
きっと、いつもと少し違って見えると思いますよ。

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